なぜ私は日本でグラフィックデザインを学んだのか

子供のころから、私は芸術に憧れていました。芸術は言葉を使わずに感情やアイデンティティを表現できるのが素晴らしいと思います。人の心を動かし、深く理解させることができます。同時に、さまざまな形の芸術の技術的な側面にも興味がありました。また、テクノロジーは私の子供時代にとって大切なもので、父と絆を深める手段でした。これらが組み合わさることで、私は芸術とテクノロジーに興味を持つようになったのです。

私にとってグラフィックデザインは視覚的なコミュニケーションです。フォント、画像、レイアウトを使ってメッセージやアイデアを効果的に伝えます。創造性と論理的な思考を組み合わせて問題を解決し、意味を表現します。グラフィックデザインは他者のアイデンティティを表すことが多いですが、私にとっては本当のコミュニケーションに感じました。誰かのアイデンティティを理解し、それを視覚的に表現することで、私の愛する芸術とつながることができたのです。 

日本でグラフィックデザインを学びたかった理由

私が日本でグラフィックデザインを学びたいと思ったのは、日本の芸術に囲まれて育ったからです。子供の頃に見た最初のアニメが、私を物語の世界へ引き込んでくれました。

最初に見たのは「トムとジェリー」「ルーニー・テューンズ」「ワッキー・レース」でした。動物が追いかけたり車が競争したりするのは面白かったけれど、そこまで深いものはなかった。けれど、「ボルテスV」を見たとき、物語がどう展開していくのか気になり始めました。

クリスマスイブの夜、母が「ボルテスV」のオープニング曲をカラオケで歌おうとしたことを覚えています。「幽☆遊☆白書」(フィリピンでは「ゴーストファイター」と呼ばれる)の初回放送を見逃して、とても悔しい思いをしたことも覚えています。「スラムダンク」で花道桜木がついにダンクできるのか知りたくて、学校から急いで帰った日々も懐かしいです。

テレビで「ワンピース」を見て、ルフィがゾロを誤ってゴーイング・メリー号の側に叩きつけるシーンで笑ったこと、そして「空島編」のストーリーに感動したことも鮮明に覚えています。初めてカカシ先生を見たとき、「なんてかっこいいんだ!」と思ったことも忘れられません。フリーザを倒すために孫悟空がエネルギーを集める場面では、空に手を掲げて応援しました。

小学校の頃、親友と特別なノートにポケモンの第一世代すべてを書き込んでいたことも、楽しい思い出です。

その後、スタジオジブリの映画や、スーパーマリオやポケモンのゲーム、そしてアニメ音楽など、日本の芸術の幅広さに触れました。

大人になるにつれて、日本のデザインにも惹かれていきました。無印良品やユニクロのミニマリズムが、アメリカのブランドよりも好みでした。伝統的な日本の家の構造も、とても魅力的に感じました。

これらすべてが、私をここへ導きました。安定した仕事を辞め、ゼロからのスタートを切りました。まだ道の途中ですが、すべての選択が価値のあるものだったと信じています。

風の記録

日々の出来事、感じたこと、そして私の世界観。風のささやきが紡ぐ物語。アミハンの視点で綴る、時の流れと記憶。

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